低炭素社会に断熱住宅。本当か?家の建て方。

 環境の会社に勤めているので環境問題に少しは意識がある。その中でも地球温暖化は非常に重要な問題だと考えている。地球温暖化では大気中の二酸化炭素濃度が問題視されているが、二酸化炭素よりも温暖化に影響しているのは、大気中の水蒸気量である。従って、二酸化炭素で一旦地球が温暖化し始めると大気中の水蒸気量が増大するのは自明の理なので、加速度的に温暖化が進行し始める事になる。後10年程度の間に二酸化炭素濃度を減少させ始めないと取り返しがつかないことになると言われているのはこの為である。

 日本は京都議定書の達成は不可能といっているし、本気で二酸化炭素排出抑制を考えているのか、疑問である。それは、昭和48〜49年だったと思うが石油ショックの時に日本は何をやったか。繁華街の夜のネオンは消させて、深夜放送は停止させた。石油ショック以上に本当は地球温暖化の影響は大きいのに日本政府は石油ショック時並みの対策を打っていないし、国民に対する広報活動も不十分である

 11日付け朝日新聞3面に“低炭素社会へ”「住宅 効率的に冷暖房」の記事。要するに住宅を高断熱・高気密にして冷暖房時のエネルギー損失を減少させようと言う発想である。私はこの発想は間違っていると思う。快適とは、外界と隔絶された完全密閉空間で生活することなのか。事実、最近の家は建築時に室内を加圧して、空気の漏れが無いか、確認するようであるが、浅はかな現代人の知恵であると思う。

 鴨長明は800年前に方丈記で「家の作りやうは夏をむねとすべし、冬はいかなる所にも住まる」と言った。冷房器具の無い昔は夏を如何に涼しくすごすかが最大の課題であったのだろう。昭和30年代の北海道の貧しい開拓農家の家の写真を見たことがあるが、家の中が透けて見えるような掘っ立て小屋であった。これで零下の冬をどうやって過ごしたのだろうと信じられない家であった。人間は本来それくらい強い生命力、生活力を持っていたのである。

 我が家は掘っ立て小屋で、襖と障子でスカスカ。子供がプライバシーとか、何とか言うが、子供には「我が家にプライバシーと言う概念は無い」と言ってある。我が家は耐震性を犠牲にしてぎりぎりまで窓を大きくしたので、窓を開けたら多分、1分程度で家中の空気は全て入れ替わる。それでも家の所々にカビが生える。高気密にして日本の住宅で何が起こったか。シックハウス症候群である。高気密・密閉空間の最大の弊害であろう。まあ、シックハウス症候群にならなくても、そんなに密閉された空間を求める気が知れない。気持ち悪くないのか!

 この断熱住宅紹介の記事の中に「断熱を進めると家全体を暖めるようになり、かえってエネルギー消費が増えるとの指摘もある。」との記述。要するに省エネ住宅とか断熱住宅とか言って、本音は高いものを買わせる魂胆ではないのか。2007年版環境白書は内容の半分程度が省エネ機器の紹介であきれはてた。我が家でも壊れたついでに電気代節約にと冷蔵庫を省エネタイプに変えたが、電気代は全く減らなかった。要するに省エネは使用する家の断熱性や機械の性能によるのではない。人間の省エネを実行しようとする意思の問題なのである。だから地球温暖化防止には政府の広報活動が最も重要なのである。絶対にやるという意思表示が重要なのである。

 昔、社宅に住んでいたとき、戸の隙間から雪が吹き込み、朝、目が覚めたら枕元から20〜30cmの所に雪が積もっていた。そんな状態でも生活できるのである。現在の過剰に贅沢な生活を正とするのか、本来の人間の生命力を少しでも生かした生活を目指すのか、それが問われているのではないかと思う。地球上60億の人間全てが日本人と同じレベルの生活をするのは絶対に無理なのである。そうなら日本人の現在の生活レベルを前提にものを考えるのは傲慢ではないか。正に高気密・高断熱による省エネ住宅の発想は、この傲慢な考え方に基づいたものである。

 日本の家は、スカスカの風通しの良い和風住宅をむねとすべし。浅はかな現代建築家が考えた知恵など10年も経たないうちにその発想の馬鹿さ加減が証明されるだろう。百歩譲って、断熱までは認めても、高気密はいけない

(2007年11月11日 記)

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